一人静かに内省す

日本男子を中心に体操競技応援中!体操競技について思いのまま綴っています

谷川航選手の体操『あん馬』

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日本体操男子は団体金メダルを最大の目標に掲げているわけだが、ライバル国より優位にたてる種目が鉄棒であることは昔から変わってない。それ以外で優位に立てる種目は実はあん馬である。私は北京五輪体操競技のファンになったが、五輪終了後にスペシャリストの鹿島さんと世界選手権で毎回種目別決勝に残る冨田さんが同時に引退し、日本はあん馬の戦力が弱まった。事実、ロンドン五輪ではそのあん馬団体戦の足元をすくわれた。

それから10年以上経過するがいつの間にか日本はあん馬が得意な選手で溢れている。日本代表だけでも橋本大輝、萱和磨、千葉健太、谷川翔、北園丈琉、津村涼太とよりどりみどりである。その他にも杉野正尭、土井陵輔、岡慎之助のように国際大会で結果を残している選手もたくさんいる。(敬称略)

そんな中、谷川航選手は6種目の中であん馬を得意種目としていない。今回の記事を起こすにあたってあん馬の映像をYouTubeSNSで探したが驚くほど少なかった。"Tanigawa Wataru"と検索しているのに"Tanigawa Kakeru"の動画が出てくることは度々あるがあん馬はそれが顕著だった。動画を検索していて感じたが、国内大会の映像が出てこないのはさておき国際大会の映像もあまり出てこなかった。おそらく全日本選手権および国際大会であん馬の種目別決勝に出場した経験がないのかもしれない。しかし航選手は強い選手だ。2017、2018、2019、2022の世界選手権、2021の東京五輪に出場している。世界選手権に関しては予選の映像をすべてYouTubeにあげているため今回の記事作成におおいに役立った。ありがとうFIG。決勝の映像も積極的にあげていいんだよ!

 

さて、まずこちらは2022年リバプール世界選手権の個人総合決勝の演技。

続いてこちらは2020年コロナ禍に行われた「Friendship and Solidarity Competition (友情と絆の大会)」での演技。

これらの違いは世界選手権の終末技がE難度を実施している点だけで、あとは全く同じ演技構成である。注目点はスロー映像である。世界選手権の映像はおそらくBBCの映像で、スロー再生の途中で映像が途切れているのでこれ以降も何かあったかもしれないが、なんにせよ始めに終末技を振り返っている。そして友情と絆では終末技のみ振り返っている。あれだけ長いこと中技をやっているのに終末技のみピックアップしているのである。

そう、谷川航選手のあん馬の演技で最も特筆すべき点は終末技である。

10点満点制度廃止後以降、体操競技の演技難易度は格段に上がった。あん馬もその一つであり、それまではA、B難度を入れることは珍しくなかったが、DE制になってからはあん馬に限らず特にトップ選手はC難度以上の技で構成することが多くなった。常に旋回を行うあん馬は私たちが見ている以上に体力を使うらしく、9技終わったころにはかなり体力を消耗しているらしい。最後の終末技は倒立にあげる技を行う選手が大半だが、倒立を上げるのはかなりパワーを使うらしく、倒立を上げきれず落下してしまうシーンをよく目にする。それはあん馬が不得意な選手に限らずスペシャリストを含めた全選手の共通項で、それまで多少バランスが崩れたとしてもなんとか耐えていたのに最後の最後で落下するというのはなんともやりきれない気持ちになる。

落下は至らずもひねりきれずC難度技になるケースも少なくない。体操にはグループ点という基礎点のような加点(Dスコアに加算)があるが、終末技だけはD難度以上で0.5、C難度は0.3となってしまう。D難度を予定していたがC難度を実施してしまった場合は技難度の0.1だけでなくグループ点の0.2も含め合計0.3も低くなってしまう。他の種目は終末技で動いてしまうなどのミスはEスコアからの減点になるが、あん馬については技をやりきれないことでDスコアでの減点にもつながりやすいという特殊な種目である。

航選手の終末技の安定感は抜群である。E難度を実施するのは当然すごいが、パワーがある選手なので倒立にあげる終末技がうまいのはなんとなく理解ができる。その上で倒立への持ち込み方にキレと安定感があるので見ていて気持ちがいい。FIGが終末技をピックアップした気持ちは大いに理解する。

そしてもう一点、航選手が他の選手と比べて一味違う点がある。個人的に最も素晴らしいと感じている点であるが、それは対応力である。

こちらは2019年に東京で行われた個人総合のワールドカップの演技。

E難度の5/4ひねりを実施しようとしたのかD難度の3/4ひねりを実施しようとしたかは映像ではわかりかねるが、いずれにせよ3部分移動をしようとしている。バランスを崩したのかあん部に手をついた瞬間に難しいと判断し咄嗟にその場で5/4ひねりを実施してD難度の技を実施し演技を終えた。このような実施になった場合は無理に移動しようとしてバランスを崩して落下になることを防ぐため、最低限の得点を守ることを優先し、ひねらずそのまま着地してC難度におさめる、というのがトップ選手の対応だと思っていた。

ところが航選手はなんとその場でひねったのである。3部分移動するのではなく5/4ひねりを実施する選手というのはかなり珍しく、スペシャリストでもほとんど見たことがない。同じ難度にもかかわらずこの差があるということはおそらく3部分移動の方がやりやすいと考えるのが自然である。それをこの最後の局面でこのような対応をするのが凄すぎる。

そしてこちらは同じく2019年にシュツットガルトで行われた世界選手権予選での演技。

これは第1ローテの一人目の演技である。予選とはいえ団体戦あん馬一人目に求められることはなんといっても失敗しないことである。後に演技を行う選手へのプレッシャーを少しでも少なくするため、点数以上に演技を無事通すことが何よりの役割である。ましてやこれは第1ローテであり一層失敗は許されない局面だったであろう。航選手は当時現地で怪我を負い出場種目を絞ることになってしまったことで負い目のようなものを抱えていたであろうと推察されるが、何があっても通さなければならないという気迫を感じられる演技で、終末技は5/4ひねりで終えているがまるで最初から5/4ひねりをやる予定でいたといわんばかりの実施に見えた。ただ間違いなく3部分移動を予定していたと思う。

この実施は今年のNHK杯でも行われた。解説の塚原直也氏からは凄いと評されており、咄嗟にひねった対応力より技そのもののカッコよさについてベタ褒めしていた。そう、この逆リア倒立(DSA倒立でも同じくだが)の5/4ひねりはシンプルにカッコいい。現地で観戦していたが、え…なんかカッコいい降り方した…好き……と思ったことをよく覚えている。正直3部分移動よりこっちをもっと積極的にやってほしいまであるが、前述したように海外選手含めほかの選手がやっていないところをみるとおそらく実施自体難しいのではないかと考えられる。

終末技についてだけになってしまったが、実は中技の倒立技も得意なのではないかと勝手に妄想している。ブスナリはできなくとも3部分移動1/2ひねりはできる気がするのではと勝手に思っているが、それはそれで倒立から旋回に戻るのがとんでもなく難しいのだろうなとも思う。個人的にブスナリより1/2ひねりの方がスムーズな実施が多いので好んでいるんだけど、彼が試合で実施する姿がまったくイメージできないのも事実ではある。正直なところ、あん馬でこれ以上難度あげる利点がないのが最適解だな、多分。知らんけど。