一人静かに内省す

日本男子を中心に体操競技応援中!体操競技について思いのまま綴っています

谷川航選手の体操『跳馬』

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私が再び体操競技に関心を持つきっかけになったのは東京オリンピックである。当時新型コロナによる様々な影響に疲弊していた地方在住の私にとって、東京オリンピックは無関心のイベントだった。そんな中たまたまテレビをつけていたときに流れたNHKの事前特集が目に止まった。NHKのオリンピック前のドキュメンタリーは毎回面白いのでなんとなく録画したが、当時の自分の判断を褒めたい。

その番組の中で航選手は自身が得意としている跳馬の大技"リセグァン2"にフォーカスされていた。水鳥監督が「他の選手はDスコア5.6跳べればいいところ彼は6.0を跳べる」と話していたが、ロペスのDスコアが7.0だった北京オリンピックで時が止まった浦島太郎の私にとって、このコメントでは彼がどの程度の実力か測れなかった。なんなら数分前に流れていた橋本大輝選手の10代の跳躍とは思えないハイクオリティロペスに心は鷲掴みだった。いきなりリセグァン2と言われたとて番組を深く見入っていたわけでもなかったので、なんだか難しそうな技だなーというのが率直な感想だった。

番組を拝見して航選手の雰囲気に魅かれたので早速YouTubeを検索。そして最初に見た跳馬の演技動画がこちら。

まさかの屈身ローチェ。当時大学1年生とのことだが、10代の選手が跳ぶ技ではない。というか細身の日本人が跳ぶ技ではない。もっと言えば最後まで着地面が見えず、足以外で着地する可能性があることを考えるとリスクが高すぎて試合で跳ぶ技ではない。浦島太郎の私でもローチェが前方3回宙返りということはさすがに覚えていたので、それを屈身で且つ着地の1歩以外どこを減点していいかわからないような実施に度肝抜かれた。そしてようやく私は気づいた。

「リセグァン2って最後にひねってたけどローチェひねりはドラグレスク…え、リセグァン2ってまさか屈身のドラグレスク……??」

難しそうな技だなー、どころではない。超大技のドラグレスクを…屈身で…?日本人が……?とんでもねえ化け物じゃねえか。というかDスコア6.0とかリセグァン2とか言われてもわかんないわ。屈身のドラグレスク団体戦で跳ぼうとしてるスーパー超人ってちゃんと説明してくれや…

 

事前番組を見てすっかり体操に興味津々となって迎えた東京オリンピック。予選ではリセグァン2に挑んだが着地で後ろに大きく動いてしまい手をつくミスとなってしまった。足に違和感があったらしく(跳躍中に攣ったと後のインタビューで判明)2本目は棄権。彼の競技力は把握していなかったので正直あまり気に留めず、むしろ団体を1位で通過したことが嬉しかったし、当然ながら内村航平氏の予選敗退の方がずっと衝撃が大きかった。

翌々日の団体決勝、ライバルのROC・中国と接戦の状況で臨んだ跳馬の演技がこちら。

家で一人で見ていたが訳のわからない奇声を発したことだけは覚えている。跳馬で着地を止めることの難しさは知っていたし、世界最高の舞台でここまで完璧な着地をしてくるほど爆発力と決定力がある選手だとは思っていなかったので、とんでもなく驚きそのあとのご機嫌ガッツポーズも含めて一気に魅かれた。

「本来なら予選でこの跳躍をしてロペスをして金メダルの有力候補だったのですが…」と解説の米田さんが話していた。ん?ロペス?屈身ドラグレスク跳ぶ人がロペス跳べるの?んなアホな。米田さんは優しいから合宿や試技会で成功しているの見て話を盛ってくださったんやな、白井健三くんでも2本目はドリッグスだったんだし彼も試合ではドリッグスでしょう、と思っていたのだが念のためYouTubeを検索。

ええええ…しっかり跳んでるんだけど…嘘だろ…そしてカサマツ跳びなのに第1局面全然足割れしてないのなんで……

後に調べたら以前は個人総合でロペスを跳んでいたらしく、将来的にリセグァン2を跳ぶためにブラニクを個人総合に取り込むようにしたらしい。ロペスが先やったんかいな。これは金メダル候補で間違いないわ、米田さんは的確な解説でした、ごめんなさい。

しかし過去の演技を調べるとリセグァン2(ブラニク)とロペスを2本とも予選と決勝で決めたケースは意外と少なく、事実前年の世界選手権はブラニクとロペスで種目別決勝に進めたが、決勝ではミスが出てしまった。そもそも跳馬スペシャリストであっても予選と決勝で2本とも決めるのは容易なことではない。むしろ2本の跳躍を揃えなければならないというのが種目別跳馬の真髄であり、他の種目にはない特有の難しさが存在する。

航選手は個人総合も強い選手なので、ロペスも跳べると知ったときは当然凄いと感じたのと同時にあぁ跳べてしまうのか、とも感じてしまった。キング内村氏は高いレベルで6種目揃えておりたくさんの技が実施できることは有名だが、多くの成績を持つ彼が初めに諦めたことが跳馬の種目別である。跳馬は種類の違う跳躍を2本実施しないと種目別にエントリーできないので、個人総合を戦う選手は予選で実質7種目を行うことになり、かなり大きな負担になってしまうのがその一番の理由である。大概の選手は高難度の違う跳躍をもう1本持っていないのでそもそも挑まないのだが、リセグァン2とロペスが跳べるとなると話は違う。この2本が揃えられればオリンピックの金メダルはかなり近くなるが同時に個人総合の負担が大きくなってしまうというジレンマも生まれてしまう。個人的には負担が大きくなるのは避けてほしいところだが、本人の個人総合へのこだわりを思うとそんなことは思っていられない。

そういった負担を避けるためなのか、9月に行われたアジア大会では跳馬の種目別にはエントリーしたものの個人総合にはエントリーしていなかった。他のメンバーとの種目のバランスもあったと思われるしもちろん理由は知らないが、おそらく本人としては悔しい思いを抱えていたのではないかと想像する。ただ、団体決勝を兼ねていた予選では2本しっかり成功させ1位で決勝進出。事前報道の映像から跳馬はかなり調子が良さそうだったのでこれは良い結果が期待できるかなと思ってはいたが、どちらの跳躍も後ろ向き着地で怪我のリスクが大きい技なので、怪我せず楽しく演技できればそれ以上はないという思いを持って配信を見た。そしてこの演技である。

凄まじいボリュームで叫んだことは覚えている。金曜日の夜なのが助かった。なんと1本目のリセグァン2の着地を止めた上に2本目のロペスもピタリと着地を止めた。他の種目でも難しい着ピタを跳馬で行うのは至難の技だ。最近の採点は着地のウエイトが高く、着地が大事、着地を止めることが高得点につながるという考えがあるとはいえ、怪我のリスクが高い跳馬に関してはその範疇には含まれない。如何に怪我のリスクや大過失を回避して着地を最低限の減点に抑えるかが跳馬の演技に求められていると思っている。金メダル最有力候補といわれ、最大のライバルが先に2本成功させ高得点を出した状況でこの跳躍である。説明不要、圧倒的な強さで文句なしの優勝を飾った。

推しのこんな素晴らしい試合をリアルタイムで見れるとはなんと幸せだろうか。試合を重ねるたびに演技で驚かせられるが本当に嬉しい。谷川航×君が代のこの上ない美しさたるや。U-NEXTのアーカイブが残らないのが惜しい。というか金メダルなら表彰式もテレビで流してくれや。

この谷川航選手の6種目シリーズ、当初跳馬東京オリンピックのことさえ書ければ十分だと思っていたがさすがに今回のアジア大会の種目別決勝には触れないわけにはいかなかった。このような素晴らしい演技を見ることができてとても幸せです。

 

最後に跳馬の演技と関係ないが、私にとって推しとなる決定打となった団体決勝の跳馬で記憶を無くしたことを楽しそうに話す航選手(00:55〜)を貼っておく。マスクの下の笑顔は想像力で補うべし。